(1)私たちが認識している世界は
■今私が認識している世界には、太陽の光が降り注いでいる。
■今私が認識している世界には、気持ちのよい風が吹いている。
■今私が認識している世界には、遠くで列車の走る音が聞こえる。
■今私が認識している世界には、土のにおいがしている。
■今私はこの世界を身体全体で感じている。
■今私が認識している世界には、自分を押さえつけるものは何もない。
■今私が認識している世界には批判は存在しない。
■今私が認識している世界には差別は存在しない。
■今私が認識している世界には私の居場所がある。
■今私が認識している世界は、どこまでも広がっている。
■そして、今私が認識している世界はそんなに悪くない。
■私たちは、会社や学校や世間や国家やいろいろなものにがんじがらめになっています。しかし、それらは、自分で作り上げたフィクションに過ぎません。私たちが認識している世界には学校や会社は存在しません。学校や会社は、人間活動の決めごとの総体に過ぎません。
■今私たちが認識している世界が、ほんとうの世界なのです。
(2)世界は私たちの知性によって作られている
■私たちは、五官の作用によってこの世界を認識しています。私たちは、目で世界を眺め、耳で世界の音を聞き、鼻で世界のにおいを嗅ぎ、舌で世界の料理を味わい、肌で世界の風を感じています。しかし、それらの情報は、別々の感覚器官から得られた情報です。私たちは、視覚情報と、聴覚情報と、嗅覚情報と、味覚情報と、触覚情報とを統合しているのです。
■私たちは、自分の認識を離れて客観的な世界が存在すると信じ込んでいます。しかし、私たちが認識している世界は、五官の情報を統合する私たち自身の「知的能力」が構築した世界です。この世界を作り出しているのは、外側にある世界ではなく、私たちの内側にある「知的能力」なのです。私たちの知的能力が全体としての世界を作り出しているのです。
■客観的な世界がどのようなものかは私たちには分かりません。私たちが「世界」と認識しているのは、私たちの知性が作り上げた世界です。(知性の統合作用)
(3)物質はどのように存在しているのか
■一方、以上の知的能力を除外した世界は、すべて、「物質」によって構成されています。この物質の構造を探求する学問が「量子力学」です。
■量子力学の知見によると、原子や電子などの素粒子は、粒子の性質と波の性質とを併せ持っています。しかし、粒子と波とがどのような関係にあるかについては、必ずしも明確にはなっていません。
■量子力学の基本方程式として、シュレーディンガー方程式が有名です。この方程式は量子力学的粒子の存在確率の時間的変化を示すものと理解されています。つまり、シュレーディンガー方程式には、物質を確定させる要素は含まれていません。
■また、不確定性原理によれば、ある瞬間における粒子の位置と運動量とを測定した場合、位置をできるだけ正確に測定しようとすると運動量は不正確になり、運動量を正確に測定しようとすると位置は不確
かになります 。これは、私たちが一定の観点について観測を行うとその点についてだけ明確な値が出ることを示しています。
■以上のことから、量子力学的観点においても、物質の存在(物質の確定)については、私たちの観測(認識)が何らかの形で関係していると考えざるをえません。
(4)「実在」とは何か
■私たちが何かを観察し、それに対して何らかの反応をしているとき、その対象は「実在している」ということができます。すなわち、認識客体の「実在性」は、認識主体の認識によって確認されます。
■また、私たちがある対象を観察し、その対象に対して何らかの反応をしているとき、私たち自身が「実在している」ということができます。つまり、認識主体の「実在性」は認識客体を認識しているというその事実によって確認されます。
■認識することと実在することとが同じであるとは、以上の事実を述べたものです。上で述べたように、認識の構造から考えても、物質の構造から考えても、こうした結論に導かれていきます。
■また、以上の認識=実在は死んだ後も、全体意識(スピリット)によってなされますので、認識=実在は、生きていても死んでいても同じようになされることになります。
☞私たちが理解すべきただひとつのこと