(3)自分を絶対的に愛すること

 

(1)無条件の愛

■臨死体験者は、その世界において、「無条件の愛」と表現される非難や否定の存在しない全面的な受容を感じると言います。 末期がんから奇跡的に回復したアニータ・ムアジャーニは述べます。

「向こう側の世界に深く入っていき、拡大しながらすべての人やものとひとつになるにつれて、愛する人たちや周囲の状況への愛着がゆっくりと消えていきました。その間すばらしい“無条件の愛”としか表現できないものが私を取り囲み、しっかりと包んでくれたのです。でも、その感覚は、“無条件の愛”という言葉では十分に表せるものではありません。それはあまりにも乱用されすぎて、言葉の持つ強烈さが失われているからです。ともあれ、長い身体的闘いからやっと解放された私は、この自由というすばらしい体験を楽しんでいました。」

*アニータ・ムアジャーニ『喜びから人生を生きる!  』(‎ ナチュラルスピリット 、2013年)

☞「無条件の愛」の世界を私たちは体験できるのか

(2)自分を大切にすること

■ 「汝のごとく汝の隣人を愛せよ」(マタイによる福音書22章)。この教えが、数ある道徳規範の中でも最も重要な規範のひとつであることを否定する人はいないでしょう。

■そして、この教えの前提となっているのは、「誰でも人は自分自身を愛している」という事実です。しかし、私たちは本当に自分自身を愛しているのでしょうか。いや、自分を愛しているのは間違いないでしょう。しかし、私たちは、多くの社会的しがらみの中で、私たち自身を愛することを二の次にさせられている状況または意識があるのではないでしょうか。

■現代人に対する第一の道徳規範は、「まず、自分自身を愛しなさい」、「自分自身を大切にしなさい」だと思います。それでは、自分を大切にするとはどういうことでしょうか。

(1) 自分を大切にするとは、「自分のありのままを肯定的にそのまま受け入れる」ことです。人はそれぞれに性格も境遇も異なります。しかし、それぞれに違うからこそ価値があるのです。今の自分をそのまま受け入れて、今を楽しむべきです。(自己受容)

(2) 自分を大切にするとは、自分を何ごとかの「手段」にしないことです。「誰々のために」「会社のために」「お国のために」何かをする必要はありません。私たち自身が目的なのです。(自己目的性)

☞組織は実在しない―国家、会社、学校などの捉え方―

(3) 私たちはこの世界の中のちっぽけな存在ではありません。私たちはこの世界を創造している「主体」です。(主体性)

☞「生き抜く」ということ

(4) 自分を大切にするとは、やりたいことをやることです。自分の感情に素直になることです。たとえば、みなさんが誰かから仕事を頼まれたとしましょう。いやいやながら仕事をしても、あなたの人生にとっては何の価値もありません。自分がその仕事に生きがいを感じてこそ、意義があるのです。(自発性)

(5) 自分を大切にするとは、自分が心からよいと思えることを行うこと、自分の良心の声に従うことです。自由とは、「自己の人格を自由に発展させること」ですが、これは、元来、自分が「なすべきである」と考えていることをなすという意味です。(自律性)

☞「内なる声」か「悪魔のささやき」か

(6) 自分を大切にするとは他人との比較をしないことです。私たちは自分の境遇や能力と他人の境遇や能力とを比較して一喜一憂します。しかし、人間の価値は、「モノ」を認識し比較することができる知性をもった「主体」である点にあります。自分自身を比較することは、自分を「モノ」扱いすることです。(比較しない)

(7) 自分を大切にするとは、「他の人も大切な存在だ」という気持ちをもって行動することです。私たちの良心の声の中には、 まちがいなく「他の人を大切にする」ということが含まれています。(黄金律

☛私たちが理解すべきただひとつのこと