「生き抜く」ということ

■動物のドキュメンタリー番組を見ると、動物たちが厳しい自然の中で懸命に生き抜く姿が描かれています。肉食動物が草食動物の赤ん坊を襲って食べるシーンを見るといたたまれない気持ちになります。しかし、この食物連鎖は自然の摂理であり、生態系全体を維持するためには理にかなったものです。このサイクルがあるからこそ、生態系は維持されているのです

■さて、これを襲われる草食動物の立場から見るとどうでしょうか。草食物にとって、肉食動物から逃れながら「生き抜く」ことは草食動物が生きるということそのものです。私たちは、シマウマの子どもがライオンの急襲から間一髪逃れることができれば、ほっとします。これは一種の感情移入ですがおそらくこの感情はシマウマの親にとってもまったく同じだと思います。動物たちにとって、様々な危難を乗り越えて「生き抜く」ことは「生きる意味」そのものなのです。

■他方、人間は、近代以降、ライオンや熊に襲われることはほとんどなくなりました。今日、私たちは、他の動物に襲われる恐怖からはほとんど解放されています。

しかし、人間は文明を発展させたことによって、交通事故や戦争など人間自身から危害を受ける可能性は逆に高まったと言えるでしょう。そうした中でも、とくに人間は、欲望とくに権力欲を膨らませてきたことによって、別の形の侵害にさらされることになりました。現代社会の中で、私たちは、他人を服従させようとする力、他人を手段として利用する力、他人を貶めようとする力に日常的にさらされています。

■こうした現代社会の中にあって、私たちが「生き抜く」とは、他人を服従させようとする力から逃れ、他人を手段として利用する力に抵抗することです。なぜなら、私たちは本質的に「主体」だからです。私たちを客体に貶める力から逃れ、また、抵抗することは、主体たる私たちにとって「生き抜く」ことです。

■ところで、香港の市民たちが香港の民主化を求めて中国政府に抵抗するデモを展開しました。しかし、圧倒的な中国政府の力の前で、この抵抗は完全に抑え込まれることになりました。民主化を進めた人たちはあるいは逮捕され、あるいは国外逃亡を余儀なくされました。

■そうすると、香港の民主化デモは結局、意味のないものだったのでしょうか。いや、私たちにとって、権力に抵抗し、また、権力から逃れることは、私たちの「主体性」を守るための戦いであり、それ自体に価値があるのです。結果として、民主化が維持されたかどうかではありません。私たちの主体性を否定しようとするものに抵抗し、私たちの主体性を守ることこそが、私たちにとっての価値であり、「生き抜く」ことなのです。

☛自分を絶対的に愛すること