■「組織は実在しない」というと奇妙に聞こえるかもしれません。国家や会社や学校は間違いなく存在していると感じられるからです。
■しかし、よく考えてみてください。実在というのは、私たちの認識対象として存在しているという意味です。この意味で言うと、なるほど、組織を収容する建物は実在しています。そこで働く人たちも実在しています。しかし、日本や〇〇会社や〇〇大学は、それ自体として実在するものではありません。組織自体は、何らかの目的のために人間が作り出した観念の産物、言い換えればルールの総体です。
■組織が実在すると信じることで、私たちは誤った考え方へと導かれていきます。それは、私たちは組織のために奉仕しなければならないとか、会社を維持するためには従業員の解雇は当然であるとか、お国のためには命を捧げなければならないといった考え方です。こうした考え方が人類を悲劇へと導いているのは歴史が証明するところです。
■組織は、人間関係を豊かにするためのものです。組織を作り出すこと自体は人間関係を多様にまた円滑に進めるために不可欠です。しかし、それは私たち人間にとって利益である限りにおいてです。組織を実在と考えてしまうと、人間が組織のために犠牲にならなければならないという本末転倒が起こるのです。
■たとえば、ロシアのウクライナ侵攻を考えてみてください。ロシア兵の大多数は自分の身を危険にさらす軍事行動など行いたくはないでしょう。しかし、国家は絶対的存在であり、上官の命令は絶対であると信じ込むことによって、軍人は戦場へと赴くのです。国家は絶対であるという観念がなければ、軍事行動など生身の人間が到底行えるものではありません。組織の絶対視は、人間から人間的な感覚を消去することを可能とするのです。
■もし、一兵士が自分の人道主義的立場に従って、ウクライナ侵攻などすべきでないとして兵役を拒否すれば、組織を絶対視する人たちによってひどい仕打ちを受けることになるでしょう。国家の絶対視は、国家に歯向かったときに想定される事態への恐怖から、さらに堅固なものとなっていきます。
■また、国民の立場からすると、国家が兵力を増強させないと、国家を絶対視している他の国家に征服されるという恐怖があります。恐怖が恐怖を呼び起こし、国家という組織の絶対性は私たち人類に刷り込まれてゆくのです。
■以上、国家について説明をしましたが、あらゆる組織について、その絶対視は、人間自身を手段化し、人間をモノ扱いする方向へと人々を導いていきます。
■しかし、最初に述べたように、組織自体は、何らかの目的のために、人間が作り出した観念の産物です。組織は人間生活を豊かにするためのルールの総体です。組織のために私たち自身が犠牲になることなどナンセンスです。私たちは組織が実在するという考え方に囚われていますが、その思想は、人類を悲劇へと導く導火線でもあるのです。