(2)意識と無意識

※『存在と文化第一巻』「総序」40ページ以下。〈English〉

■ところで、このような意識と物質との切れめなき一つながりの全体構造のなかで、さし当たり特に次の点に注目しよう。そこでは現在からどんなに遠い過去体験も、中間の時間を飛び越えて直接現在の状況および未来の諸可能性と結びついている。前述の如く内在時間の流れには切れめがないから、実在たる時間的過程はその全体が一挙に与えられているのであり、したがってその如何なる場所も互いにじかにつながっているのである。

■しかるに科学的認識はこれを諸部分に分割し、各部分を互いに過去と現在、現在と未来の関係で対置させる。各現在とその遠い過去および未来との間には、無数のより近い過去および未来が介在することになる。それ故、遠い過去体験が中間の過去体験を飛び越えてじかに現在の状況や未来の諸可能性と結びつくという、意識と物質との切れ目なき一つながりの全体たる実在の真相は、このような科学的認識の対象として分割された時間的経過の諸部分をいくらつなぎ合わせても、絶対に再構成することはできない。

■かように、物質の知覚においては、必要に応じていつでも、無数の過去体験の切れ目なき一つながりの全体の中から任意の過去体験を想起してこれをその物質への可能なる対処の諸仕方と対応させることによって好ましい仕方を選択し、必要がなくなればいつでもそれを忘却し、又その反面としてその過去体験以外のあらゆる過去体験を想起しないようにする(想起を抑制する)ことができる。

■そして、そうすることができるのは、想起された任意の過去体験(A)が、いつでも、忘却され想起を抑制されているその以外のあらゆる過去体験(B)と、切れ目なき一つながりの全体を構成しつつ一挙に存在しているからである。言い換えれば、AはBと一体でなければ存在し得ない。しかるに、言うまでもなく、Aは現在意識の要素をなす。Aの想起とは、Aを現在意識にいわば呼び寄せること・召喚することである。そしてこれとの対比から、B即ち現在意識の要素として現在意識に召喚されない過去体験それ自身は、意識の要素でないという意味で無意識の要素である。無意識とは無数のBの切れ目なき一つながりの全体である。

■故に、「AはBと一体としてのみ存在する」ということは、要するに、「現在意識は全過去たる広大な無意識と切れ目なき一つながりの内在時間を形造ることによって初めて存在する」ということである。そして、フロイド、シャルコー、ベルグソンらによって開拓された現代心理学の諸知見は、意識の基底に全過去体験・全過去記憶を秘めた広大深遠な一大無意識の世界が存在すること、及びそれと意識との複雑な相互作用が存在することを明らかにして、この事実の直接の証明になっている。

☞宇宙超出論の世界観