(1)内在時間

※『存在と文化 第一巻』「総序」64ページ以下。〈English〉

■全実在は無限に多種多数の存在者の絶対に切れめなき一つながりの全体であるから、富士山登山が東西南北いずれの登り口からであってもかまわないように、その全体構造の解明の緒は、原理的にはどこに求めてもよいわけである。

■ところで、「存在」とか「実在」とかいう言葉を耳にした場合、常識的に想い浮かぶのは、物質・意識・無意識又は(意識と無意識とを一括して)精神と物質、という存在の類別であろう。

■古来多くの哲学が、物質とは何か意識とは何かというような問いかけに理論展開の緒を求めたのは、このためである。

■ところが、物質・意識・無意識については、われわれが幼児から形成して来た強固な固定観念が在って、存在としては全く共通性のない別種のもの、むしろ互いに対立的・矛盾的なものだと考えられがちである。例えば、物質は意識による認識の客体で意識はその主体、無意識は読んで字の如く意識の不存在・意識の否定だから、まったく対立的・矛盾的だ、というぐあいに。

■それ故、物質・意識・無意識の考察から始めると、それらの切れ目なき一つながりの統一体である全存在の統一構造がかえってわからなくなり、物質と意識、ものとこころ、有と無の二元論又はその片方を強引に切り捨てた一面的一元論としての唯物論や観念論に陥る結果となりがちである。そこで、本書では、緒を別に求めて内在時間の考察から出発する。

☞宇宙超出論の世界観