●ところで、量子力学の主流的見解ではありませんが、観測問題について、フォン・ノイマン=ウィグナー解釈と呼ばれる考え方があります。これは、量子の観測には、私たちの「意識」が関係するとする解釈です。この解釈は私見と一致するものなので、ここで加えさせていただきます。
(1)ノイマンの見解
●ジョン・フォン・ノイマン(1903-1957)は、1932年に著した『量子力学の数学的基礎』の中で、以下のような議論を展開しています。
例えば、温度を測定する場合、(1)温度計によってこれこれの温度が測定されたとも言えるし、(2)観測者によってこれこれの長さの水銀柱が見られたと言うこともできるし、(3)水銀柱から発せられた光子が観測者の網膜によって捉えられたとも言えるし、更には、(4)観測者の脳細胞の化学反応が観測者によって知覚されたということもできる。科学的観測を行う場合、我々はいつでも、世界を2つの部分に分けて、一方を観測される系、他方を観測者としなければならない。
この点を論ずるために、世界を、①本来の観測される系、②測定装置、③本来の観測者に分ける。観測される系と観測者との境界は、①と②の間にも、②と③との間にも置くことができる。上の例では、境界を(1)と(2)との間に置くと、①の本来の観測される系は「調べるべき系」、②の観測装置は「温度計」、③の本来の観測者は「光+観測者」となる。境界を(2)と(3)との間に置くと、①は「調べるべき系+温度計」、②は「光+観測者の眼」、③は「観測者の網膜から先」となる。さらに、境界を(3)と(4)との間に置くと、①の本来の観測されるべき系は「観測者の網膜に至るまでの全体」、②の測定装置は「観測者の網膜」、③の本来の観測者は「観測者の抽象的な“自我”」となる。観測される系と観測者との境界はどこに設定することも可能である。
●以上のように、ノイマンは、観測者を「観測者の抽象的な“自我”」であると断定しているわけではありません。また、観測者の意識が波動関数を収縮させると述べているわけでもありません。その可能性について言及しているに過ぎません。しかし、天才数学者が、観測者について、「抽象的な自我」にまで言及したことによって、「観測」が私たちの「意識」によってなされる可能性が示されたのです。
*J.v.ノイマン(井上健ほか訳)『量子力学の数学的基礎』(みすず書房、1957年)332頁以下。
(2)ウィグナーの友人
●1961年、ハンガリー出身のユージン・ウィグナー(1902-1995)は、「心身問題に関する諸考察」と題された論文において、「シュレーディンガーの猫」の思考実験を「ウィグナーの友人」として再定式化し、観測者の意識こそが波動関数の変化(収縮)を引き起こすという見解を示しました。
*Eugene P. Wigner ,Remarks on the Mind-Body Question, In Good, I. J.. The
Scientist Speculates: 1961,An Anthology of Partly-Baked Ideas. London:
Heinemann.
●ウィグナーは、はじめに、「意識」に言及することなく、量子力学の法則を完全に整合的に定式化することは不可能だと述べ、波動関数は、印象(impression)が私たちの意識に入ること(すなわち私たちが知覚すること)で、変化する(ご破算になる)と考えました。
●そして、「ウィグナーの友人」として有名な思考実験を展開します。ある確率で閃光する量子系を観測するとします。この場合、波動関数は、観測時に閃光を見る確率を教えてくれます。さて、この観測を友人に任せて、ウィグナーは彼から観測結果を聞くことにします。この場合は、観測結果はいつ決まったのでしょうか。友人の意識に入ったときでしょうか、ウィグナーの意識に入ったときでしょうか。
●ウィグナーは、この場合、波動関数を変化させるのは(波動関数をご破算にするのは)、対象物が最初の観測者である友人の意識に入ったとき(友人が観測したとき)であると結論付けました。
●なお、その後、ウィグナーは考えを改め、意識を用いた解釈を独我論として否定しています。
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