■神社に参拝するときの作法とお寺に参拝するときの作法の違いは、柏手(かしわで)を打つか打たないかである。この点は、そうした決まりとしてあまり気にせず行っているが、柏手を打つのは神道のまつりの本質的な部分とつながっている。それが「たまふり」である。
■日本書紀によれば、675年(天武14年)11月丙寅(ひのえとら)の日 (24日)に「天皇の為に招魂(みたまふり)しき」という記述が見え、これがたまふりの初見とされている。招魂には「たまふり」と「たましずめ」の2種類がある。「たまふり」とは御魂を活性化させることであり、「たましずめ」とは荒々しい御魂を鎮静化させることである。「たまふり」が本来の意味であったと考えられる。
■先の日本書紀の「みたまふり」は、天武天皇の病気が思わしくないことから、病気の回復を願って行われたものであった。11月の寅の日は冬至のころである。そのころは太陽の活力がもっとも衰える時期と信じられており、「みたまふり」は、太陽神の活力を復活させ、その活力で天皇の元気を回復させるための神事であった。具体的にこの「みたまふり」で何を行うかは宮廷の秘儀でありよく分からない。しかし、宇気槽(うきふね、うけふね)と呼ばれる箱を伏せ、その上に女官が乗って桙で宇気槽の底を10回突く「宇気槽の儀」が行われるとされており、天の岩屋戸におけるアメノウズメの踊りにその原型があるものと考えられている。
■現在でも宮中では、新嘗祭の前日に、宮中三殿の奥にある綾綺殿(りょうきでん)で鎮魂祭(ちんこんさい、みたましずめのまつり)が行われている。
■たまふりはその後、様々な形で広がっていく。神主が、神の御魂をお招きし、御幣(ごへい:2本の垂れた紙を木や竹の棒で挟んだもの)を左右に振るのもたまふりである。私たちが神社で拍手を打ったり、鈴を鳴らしたりするのもたまふりである。神輿が神幸
(しんこう) する際に、途中で上下左右に荒々しく揺さぶることもたまふりである。
■なお、神輿を荒々しく振ることは、元来のたまふりとは異質な部分もある点も指摘しておきたい。なぜなら、この行為は神様を高貴な客人のごとく接待するという「まつり」の基本形と合致しないからである。これは、まつりが庶民に広まる中で生まれた庶民的変種とも言えるものである。
■たまふりはやがて人に対しても行われるようになる。「万葉集」に恋人に向けて袖を振る歌が数多く残されているが、これもたまふりである。この場合は、相手の魂を活性化させて引き寄せるために行われる。現在、「いってらっしゃい」と手を振るのは、この流れをくむものである。相手の魂を活性化させて旅の無事を願うのである。(続く)