■これまで論じてきたように、神道は、山、巨岩、巨木、泉などをご神体とする自然崇拝にルーツをもつ神まつりと、皇祖神または氏族・豪族の祖先神を崇敬する神まつりという2つのルーツがあることが分かる。前者の場合、元来は、常設の神殿を持たないのに対し、後者の場合は、はじめから常設の神殿を持つものとして創建されたと考えられる。それでは、神道において、この両者はどのような関係にあるのだろうか。
■まず、この2つの神まつりが混在しているということが、神道の特色のひとつである点を指摘したい。現在、神道関係者や神道信者にとって、両者はとくに意識されることなく受け入れられている。だから、むしろ問題とすべきなのは、なぜ、神道では、相反すると思われる2つのルーツの神まつりが矛盾するものとは意識されずそのまま受け入れられているのかということである。
■この点は、まつられる神の性格という観点からみると、対立的で相容れないもののように思われる。しかしながら、視点を変えて、その土地の人々の意識という点から考察すると、不思議なことに、両者はそれほど異なるものではないということが分かる。
■「神道の社会的機能」の中で指摘したとおり、神道は、共同体の維持と人々の不安の解消という社会的機能を果たすために生まれてきたものである。そして、この前提となっているのは、土地の神々には人々を活性化させるパワーがあり、私たちは土地の神々からパワーをもらえるという人々の信仰である。
■この観点からみれば、これまで神まつりをしていた場所に神殿ができ、神様にいままで聞いたことのない名称が付されたとしても、その地域の人々にとっては、神様は従来通りの「土地の神様」であったのではないだろうか。人々は、神社が創建された後も、「土地の神様」に拝礼し、「土地の神様」に祈願をし、「土地の神様」のおまつりをするという点では、それまでと変わらなかったものと思われる。むしろ、人々が神まつりをし、神に祈願するという点では、神殿があることは、人々に神を可視化させるものとして歓迎すべきものであったとも考えられるのである。
■また、為政者にとっては、自らの 「皇祖神」や「祖先神」をまつる神社が、地元の者たちにとって信仰の対象となる必要があった。それゆえ、神社は、その地域の神まつりが行われていた場所に建立されることが多かった。為政者にとっては、自らの祖先神がその土地の民によって「土地の神さま」としてまつられ、地域の人々から崇敬されることは好ましいことであったと思われる。
■結局のところ、神社でおまつりする神はその土地の神様であり、神社が創建され、そこで祀られる神にどのような名が付されようとも、その地域の人々にとっては、土地の神様をまつるという意識に変わりはなかったと考えられる(現在でも、主祭神の名称を知らずに、神社に参拝に出かける人も多いであろう)。
■以上の点は、その後、神社が長い間維持されてきたという事実からも裏付けられる。もし、神社が豪族の「祖先神」をまつるという点にのみ意義があるのならば、その豪族が衰退すれば、神社も消滅する運命にある。しかし、神社は、紆余曲折があったにせよ、その後も連綿と維持され続けた。これは地元の民が、何とか神社を維持しようとしたからに他ならない。なぜ維持しようとしたのかといえば、神社はその地域の共同体の維持に必要不可欠なものだったからである。
■このように、地域の人々にとって、神様は常にその土地の神様であり、神社はその土地の神社であり続けたのである。
☞神道とは何か