神社の誕生(1)

■神社を「神をまつる常設の神殿」と定義した場合、神道の歴史の中で、「神社」はいつごろ、どのようにして生まれたのだろうか。

■元来、古神道では、山、巨岩、巨木、泉などの自然の造形物に神が宿ると信じられていたため、社殿の中に神をおまつりすることはなかったと考えられている。

また、祭祀を執り行うときは、臨時に神をお迎えし、その後また神様の本来の御座所にお帰りいただくという方法で進められた。その依り代(よりしろ=神をお迎えする時、御座所となる場所)を神籬(ひもろぎ)という。漢語の「神籬」は、神の御座所となる神聖な籬(まがき,垣根)という意味である。大和言葉の「ひもろぎ」は、「ひ」は神霊のこと、「もろ」は天下る意の「あもる」の転、「き」は木の意味である。すなわち、神籬(ひもろぎ)とは、神霊が天下る木、神の依り代となる木という意味である。

■現在でも、三輪山をご神体とする大神神社は、拝殿はあるが、神をまつる本殿は存在しない。三輪山自体がご神体だからである。これが古神道に由来する神社の本来の姿と考えられている。大神神社以外では、諏訪大社、埼玉県神川町の金鑚神社(かなさなじんじゃ)なども本殿を持たない神社である。

■ちなみに、金鑚神社(かなさなじんじゃ)で興味深いのは、奥社のある御嶽山(みたけやま)をご神体とするのではなく、御嶽山から延びる尾根に過ぎない御室ヶ嶽(みむろがたけ)をご神体としている点である。これは、御室ヶ嶽から砂鉄が取れたためと考えられている。金鑚は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源とも、 また、産出する砂鉄が昆虫のサナギのような塊だったので「金サナギ」が語源ともいわれる。

■ところで、大神神社や金鑚神社が本来の神社の姿であるならば、本来の形で今に残る神社があまりにも少な過ぎるのではないだろうか。現在、ほとんどの神社は本殿を有し、その中に鏡などのご神体を納めている。これはなぜなのだろうか。(続く)

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