神社の場所―境界線上の宗教―

■神社が創建された場所を考える上で、たいへん興味深い記述が常陸国風土記の中にある。継体天皇の時世に、箭括の氏の麻多智(やはずのうじのまたち)という男が行方郡の西の谷の葦原を開墾して新たな水田をつくろうとした。そこに蛇(夜刀の神)が群れをなしてあらわれ、これを妨害した。麻多智は大いに怒り、甲冑を身に付け、矛をとって打ち殺し追いやった。麻多智は、山の入口に至り、境界の印の杖を堀に立て、夜刀の神に、「ここから上は神の土地とすることを許そう。これから下は人が田をつくる土地とすべきである。今日から私は神の祝(はふり、神主)となって、永く末代まで敬い祭ろう。だからどうか祟らないでくれ、恨まないでくれ。」と言ってまつったというものである。


■これは、神社(または、神まつりの場)がどこに設定されるかを示す好例である。神社は多くの場合、山や海(自然)と里(開発地)との境界に置かれている。人の領域と神の領域との境に置かれるといってもよいかもしれない。神社は神の領域の入口に、神の領域に向けて置かれるのである。

■関東の多くの大社は縄文海進時の海岸近くに位置しているが、これも、海神(わたつみ)との境界線上にあるということである。元来、神社は、侵すべからざる領域または侵しえない領域に向けて創建されたのである。土地においてそこが境であると考えられる場所は、人同士の土地争いである場合を除けば、畏敬の念と畏怖の念を生じさせる場所である(むしろ、そうした場所が境界と認識されたものと思われる)。現在では、すべての土地が誰かの所有物となっているから、土地の境界線は人と人との人工的な境界に過ぎない。また自然(山)にも開発の手が必ず入っているから、ここでも境界線の意識は希薄となっている。この境界線の意識が希薄化したことが畏敬の念と畏怖の念を希薄化させ、神まつりの本来の意義を希薄化させているのだと思われる(このあたりは、宮崎駿の「もののけ姫」のテーマのひとつとなっている)。

☛神道とは何か