●上述したとおり、「この世界は意識によって生み出される」としますと、「個人の意識」を超えた「全体意識(宇宙意識)」を想定する必要があります。しかし、この仮説はほんとうに成立し得るのでしょうか。そこで次に、「この世界は私たちの意識によって生み出される」という命題を起点として、全体意識(宇宙意識)の存在についての推論を試みたいと思います。
(1)まず、意識がこの世界を作り出しているとしますと、意識自体は物質ではないことになります。意識が物質ではないとしますと、意識はこの物質世界の中に存在するものではありません。もちろん、個人の意識も脳にあるものではありません。
(2)個人の意識は、肉体が滅びると消滅してしまうのでしょうか。意識が物質ではないとしますと、意識が肉体と同じ運命を辿る必要はありません。むしろ、意識に物質的な死が想定されず、また、この世界が意識によって創造されるとしますと、私たちの意識は、肉体が滅んでも永続すると考えるのが論理的です。
(3)個人の意識が、肉体が滅んでも存続するとすると、意識の世界には、これまでに亡くなった人たちの意識、死んだ生物たちの意識も存続していることになります。そうすると、意識の世界には、人類誕生以来の無数の人たちの意識、さらには、これまで存在した無数の生物たちの意識が集約されているのではないかと推測されます。
(4)加えて、先に見たように、意識がこの世界を生み出しているとしますと、いまだ生物が誕生していない以前の、この宇宙が誕生してからのすべての意識が、その世界には集約されていることになります。
(5)そして、「意識がこの世界を生み出している」としますと、「全体意識」とはすなわち「全存在」であるということになります。
(6)また、翻って考えてみますと、「個人の意識」とは、「全体意識」の一部でありながら、身体によって一定の制限を加えられ、「全体意識」の持つ全体性を有しない意識ではないかと推測されます。
●以上のように、私たちの意識がこの世界(宇宙)を生み出しているという命題を起点として、意識の構造について推論を行っていきますと、どうしても、全体意識(宇宙意識)の存在を想定せざるを得ないように思われるのです。そして、私たちは、身体的死を迎えれば、この全体意識の世界に帰っていくのではないかと考えられます。