●「この世界は私たちの意識によって生み出される」前章(4)では、認識論と存在論双方の観点から、一見、荒唐無稽とも思える以上のような結論に辿り着きました。この際、意識については、私たちの「個人の意識」が想定されていました。しかし、この結論には次のような批判があります。
●まず、アインシュタインは、「君は、君が見上げているときにだけ月が存在していると信じるのか」と批判しました。これは、量子力学のコペンハーゲン解釈に対する批判ですが、上の命題に対してもそのまま当てはまります。「この世界は私たちの意識によって生み出される」としますと、月は、私たちが意識を向けたときにだけ存在するということになりそうです。
●ただし、この批判に対しては、その通りだと答えることも可能でしょう。なぜなら、そもそも、近代科学において、事実というのは、一定の測定(観測)を行い、客観的なデータを得てはじめて真であるとされるものですから、測定していない間の状態について云々することは、科学的見地からは無意味だとも言えるからです。
●しかし、以下の批判には「個人の意識」から答えることができません。すなわち、「人類が誕生する以前の宇宙は誰が創造したのか」という批判です。実は、この問いには、「時間とは何か」という根本的問題がありますが、とりあえずここでは、時間は一方方向に流れるものであるということを前提として話を進めます。意識がこの世界を作り出しているとすると、意識は、人類誕生以前から存在しなければなりません。少なくとも、意識は、この宇宙が誕生するときから存在していなければなりません。
●また、量子力学上の実験における測定装置の設定、測定対象の選定は、観測者が誰であってもかまわないので(再現性)、観測主体として、具体的な個人の意識を想定する必要はないと思われます。この意味で、意識は、抽象的、一般的なものでよいと思われます。
●そこで、この世界を生み出している意識について、ここでは仮に、「全体意識」または「宇宙意識」という名称を付したいと思います。「宇宙意識(Cosmic
Consciousness)」という用語は、カナダの精神科医リチャード・モーリス・バックが1991年に提唱した概念です。彼は、宇宙意識を、「宇宙の生命と秩序に対する高次の意識、または意識の感覚」と定義しました。
●ここで用いる全体意識(宇宙意識)については、次のように定義しておきます。「全体意識(宇宙意識)とは、この世界(宇宙)を創造し、それゆえ、この世界(宇宙)が誕生したときから存在し、時空のどの地点からでもこの世界(宇宙)を観測(創造)することができる意識である。」
●すなわち、フォン・ノイマンが「抽象的自我」と呼んだように、個々人の意識にとどまらない普遍的な意識を想定するのです。
●なお、全体意識(宇宙意識)と言っても、個人の意識同様、時空の特定の一点から観測(創造)を行うものと考えられます。すなわち、意識にはこの宇宙のような広がりはないものと考えられます。なぜなら、意識は物質ではないので、空間的な広がり(質量、体積など)を想定することができないからです。しかし、全体意識は、この視点を宇宙のどこに設定することもできますので、逆に、全体意識は宇宙全体を覆っていると想定することも可能です。
●また、次の点も指摘することができます。不確定性原理によれば、観測は、観測対象とした物理量(たとえば位置)に対してのみ正確になしうるものであり、対になる別の物理量(たとえば運動量)に対して同時に正確に行うことはできません。これは、観測というのは常に特定の観測対象を明確に設定して行われるものであって、観測対象を明確にしない限り、正確には行えないことを意味しています。この点から、全体意識は、「個人の意識」と同様に、自由意思に基づき観測対象を明確にして、この世界を観測する(創造する)ものと考えられます。