日本書紀における「神道」

■「神道」という用語が文献上はじめてあらわれるのは、日本書紀の用明天皇(聖徳太子の父)の段である。「信仏法、尊神道」(王は仏法を信じられ、神道を尊ばれた)。具体的な事がらとしては、一方で、王(天皇)は、須加手姫皇女(すかてひめのみこ)を伊勢神宮に遣わして、斎宮(いつきのみや)として天照大神に仕えさせ、他方で、王(天皇)が病に伏せ、死が近付いた際に、「自分は仏・法・僧に帰依したい。」と群臣に述べられていることが書紀に記されている。

■神道という用語は、仏教の伝来以前に存在したものではなく、仏教の伝来に伴って、従来からある王族(皇室)の神まつりをそのように呼んだものと推察される。

■仏法は「信じられる」ものであり、神道は「尊ばれる」ものであるという記述は興味深い。

■王(天皇)は、病の中で自分の苦悩を解決してくれる教義として仏教を信仰した。法とは「なすべきこと」だから、仏がなすべきとした事がらを信じて行う、これが「信仰」である。

■一方、王(天皇)は、皇祖神を敬い大切にすることが、王たるものの役割と考えてもいた。神道とは「自分たちの祖先たる神々が辿ってきた道」であり、自分たちの正当性を基礎付けるものであるから尊重されるものなのである。

■ここから、神道は、「教え(または法)」ではなく「道」なのかも理解できる。「道」というのは歴史すなわち「神が辿ってきた道」ということである。「日本書紀」によれば、この世界の生成も神の事績だから、一切の事がらの根本は「神の辿ってきた道」である。そしてその道は皇室の歴史につながる。この神の辿ってきた道に敬意を払うことが、皇室自らの正当性を支える重要な要素になるのである。

☛神道とは何か