(11)幸せの源泉―全体意識とつながること―

●私たちはどうしたら幸せになれるのでしょうか。少々、ストレートな問いですが、この点についてここでは述べていきたいと思います。

●まず、「幸せ」は感覚・感情の問題です。幸せそれ自体を論理的に説明することはできません。ですから、最初の問いは、「私たちはどうしたら幸せを感じることができるのか」と言い換えた方がよいでしょう。

●実際のところ、この問いに対する答えは様々です。幸福度に関するある調査によると、おいしい物を食べているとき、趣味の時間を楽しむときなどに幸せを感じるとする回答が多いようです。

●この中で、私はとくに、人間や動物などとの関係性に着目したいと思います。私たちは、家族、友人、恋人、会社の同僚、ペットなどと間に「つながっている」という感覚、別の言い方をすれば「絆」が感じられるときに幸せを感じる傾向があるように思います。そして、この絆の感覚は、さらに、自然、地球さらには宇宙全体にまで広がっていくものと思われます。

*心理学者アドラー(1870-1937)は、これを「共同体感覚」と呼んでいます。共同体感覚とは、共同体に対するつながりの感覚の総称です。また、アドラーは、共同体について、家庭、学校、職場、地域社会、国家、人類などの他、動植物や無生物にも及び、時間軸においては過去から未来までも含み、さらには宇宙共同体にまで広がるとしています。

●さて、「人とつながること」「世界とつながること」に幸せを感じるとしますと、私たちが最も幸せを感じるのは、全体意識(ワンネスの世界)とつながったときです。なぜなら、全体意識とは全存在すなわちすべてですから、すべてとつながったと感じられるときに、私たちは究極の幸せを感じられると思われるからです。

●この証拠のひとつが臨死体験をした人たちの体験談です。臨死体験をした者の多くが、あちらの世界において、これまで感じたことのない「無条件の愛」を感じたと述べています。私たちは「全体意識」の中に入っていけば、至上の幸せを感じることができるのです。

●しかし、「全体意識」そのものになるのは、そのときが来るまで待つことにして、ここでは、個人としての私たちが全体意識とつながる方法について指摘したいと思います。

●まず、前提として、私たちは全体意識の一部ですから、元来、全体意識とつながっています。ただ、現代人は、常識と呼ばれる様々な偏見を無意識に身に付けてしまっているので、全体意識とのつながりを感じられない状態にあるのです。ですから、この偏見から解放されれば、それだけで私たちは「全体意識」とつながることができます。

☞現代人の誤った世界観(偏見)とは何か

●私たちが全体意識とつながる方法としては、一般に、次の2つを挙げることができるでしょう。

●ひとつは思考することをやめることです。現代人の常識や偏見は、この世に生まれた後で身に付けたもの、すなわち思考の産物です。そこで、思考をやめれば、おのずと全体意識とつながることができます。これは、従来から「瞑想」として実践されてきました。瞑想の方法については様々な書籍がありますので、ここでは割愛させていただきます。

●ふたつめは、全体意識との対話です。この点は、一般には、「内なる良心の声を聞く」とか「神の声を聞く」などと言われてきたものです。

●私たちは、生活上の必要から、あるいは、自分の目的を実現するために、様々な活動を行います。その際、どのような行動をとるかは、すべて個人に委ねられています。全体意識が私たちに命ずることはありません。

●そこで、ある行動をとるにあたり、その行動が適切か否かを全体意識に尋ねるのです。全体意識は、その行動が全体意識の意思に合致するのであれば、その行動を承認するでしょう。なお、全体意識は、個人に自由意思を与えていますので、その行動が自由意思に基づいている限り否定することは少ないと思われます。全体意識が認めたということは、私たちが全体意識とつながったということですから、私たちは幸せを感じることができます。

☞「内なる声」か「悪魔のささやき」か

●付言しますと、この点が、私たちに自由意思が与えられている理由のひとつと思われます。私たちが「幸せ」を感じるためには、私たちは別の選択もできる状況にある必要があります。自らの意思で「全体意識」とつながるからこそ、私たちは幸せを感じることができるのです。

●以上のとおり、全体意識の声を聞くことこそが、幸せの源泉なのです。

☞私たちが理解すべきただひとつのこと