■ところで、神道が、共同体の維持と人々の不安の解消(または共同体の活性化、魂の活性化)という役割を果たすためには、その前提として、人々の心の中に一定の感性があることが必要である。すなわち、共同体の構成員が「まつり」に熱狂し、また、神々への「祈願」によって心が休まるという気持ちが起こらない限り、神道の社会的機能は果たされない。
■おそらく、唯一ここに神道の「信仰」がある。私たちは土地の神々からパワーをいただける(神々は私たちの魂を活性化させる)という「信仰」があるから、おまつりをするのであり、神々に祈願をするのである。
■これは、神に対する全面的帰依といった種類の信仰とは異なる。いわば、神々または自然の「生命力」に対する信仰である。私たちは神様からパワーをいただきたいときに、神様をお呼びしておまつりをし、祈願をするのである。そして、土地の神々は私たちが困難に立ち向かい、未来を切り開いていく上で何らかのパワーを授けてくれるという信仰なしには、神をまつる気持ちも、神々に祈願する気持ちも生じないであろう(なお、神々のパワーが人々を苦しめるときには、それを鎮めてもらうという場合もある)。
■文明(農耕と都市の発達)が起こる以前、生活のすべてを自然に依存し、すべての生活の糧を自然から得ていた時代には、人々にとってもっとも「力」あるものは自然であった。そうした社会では、人々が力の源泉である自然に祈るのはある意味必然的なことである。神道はこの流れを色濃く残した宗教である。
■だから、神道信者というのは、八百万の神々(または自然)には、私たちの魂を活性化させるパワーがあると信じている人たちのことである。
☛神道とは何か