神をまつる心情

■渋谷区竹下通りのすぐそばに東郷神社がある。海軍大将東郷平八郎をまつる神社である。東郷自身は、将来自分をまつる神社が設立される計画を聞いて驚き、止めて欲しいと強く懇願したが、願いは聞き入れられず結局神社は建立された。東郷が昭和9年(1934年)5月30日に亡くなると、全国から東郷をおまつりする神社の創建の要望と献金が相次いだ。寄せられた献金によって、昭和12年(1937年)9月に地鎮祭、昭和15年(1940年)5月27日(海軍記念日)に御鎮座祭が挙行された。

■東郷はまつられることで神になった。人々はなぜ彼を「まつりたい」と思ったのか。「まつる」は心情であり、論理ではない。東郷平八郎を「顕彰する」ためという理由が述べられることがある。「顕彰」という用語は個人の功績や善行を讃えることであり、「まつる」とは異なる。

■神道の神を考える場合、神の実体を掴もうとしても何も見えてこない。神の本質は、ある対象を神としてまつろうとする人々の共通の意識の中にある。神社とはこの人々の気持ちが具現化したものである。なぜ私たちはその対象を神としてまつるのか。この「まつる気持ち」こそが神道の真髄である。そして、まつる対象が「神」なのである。「神」だからまつるのだと考えると神道の本質を見誤るように思う。人々がまつろうと思う対象が神なのである。あくまで、神はまつる人々の気持ちの中にある。

☞神道とは何か