【問7】私たちがワンネスの世界(全体意識の世界)の住民であるならば、私たちは他の者を思いやる慈しみのある存在のはずです。それなのに、どうしてこの世界に戦争や紛争が絶えないのですか。

■ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル軍のガザ地区への攻撃、スーダンおよび南スーダンの内戦など、この世界の現状を眺めるとき私たちがワンネスの世界(全体意識の世界)の住民であるとは到底思えません。むしろ、この世界の現状は、ワンネスの世界(全体意識の世界)など存在しないことの証明であるようにさえ思えます。

■しかし、私たちはワンネスの世界の住民です。それでは、なぜ、この世界は「分断」され「対立」しているように感じられるのでしょうか。この点について説明したいと思います。

■まず私たちは、この世に生まれてくるとき、全体意識の世界の「記憶」をすべて忘れて生まれてきます。

■なぜでしょうか。それは、何も知らないで生まれた方が、「新たな挑戦」、「新たな創造」を行うことができるからです。私たちが新たな状況に対処する場合、あまりにも経験があり過ぎると、その経験に従って対処しようとします。しかし、それでは新しい創造は生まれません。そこで、全体意識は、私たちがこの世に生まれるにあたって、わざと全体意識における記憶を消して誕生させるのです。

■これによって、私たちは、これまでの世界の歴史上、誰も経験をしたことのない経験をして、誰も成し遂げたことのない新たな創造を行うことになります。私たちが何ものにも囚われず、独自個性的でかけがえのない人生を生きることによって、これまで誰も経験したことのない経験を全体意識に付け加えていくのです。

■しかし、私たちが有する「自由意思」は両刃の剣です。私たちは、この地球の生物多様性を維持し一層発展させることもできますが、同時に、人類を絶滅へと誘うこともできます。

■そして、現代社会における最大の問題は、無垢な状態で生まれてきた私たちが、知らず知らずのうちに常識と呼ばれる偏見を身に付けてしまうことです。その常識(偏見)とは、たとえば、「私たちは社会のために行動しなければならない」とか「社会において成功することが人生の目的である」とか「私たちは生活するために働かなければならない」とか「人のために自分を犠牲にすることは尊いことである」とか「国家に尽くすことは賞賛に値する」などです。

■まず、以上のような常識はどうして問題なのでしょうか。当たり前の事がらを述べているようにも思えます。何が問題かというと、これらの常識(偏見)は、私たちの自由な判断、自由な行動に足枷をし、私たちの自由を抑制する方向で働くからです。たとえば、「あなたがやろうとしていることは社会に役立つのか」とか「そんなことをしていると立派な人間にはなれないぞ」とか「定職にもつかないで恥ずかしくないのか」などです。

■私は、こうした常識(偏見)の根底には、「恐れ」の感情があると考えています。恐れとは、「仲間外れにされるのが怖い」、「他人から批判されるのはいやだ」、「仕事を失いたくない」、「病気になったらどうしよう」、「老後の生活が不安だ」、「他国がいつ攻めてくるか分からない」などです。

■そして、私たちは、こうした恐怖から、心情的に組織体(国家、社会、企業など)に依存するようになります。換言すれば、私たちは、組織体(社会、国家、企業など)を「実在」と考えるようになります。

■なお、実際には、国家、企業などは「実在」ではありません。これらは、私たち人間の社会生活を豊かにするための道具概念またはルールの総体です。元来、道具であるべきものを「目的」または「実在」と考えてしまうことが、現代人の有する最大の偏見だと思います。

☞組織は実在しない―国家、会社、学校などの捉え方―

■組織体(国家、社会、企業など)が「実在」となったとき、これに奉仕をすることが私たちの使命であるとする常識(偏見)が作られていきます。元来、手段であるはずの組織体(国家、社会、企業など)が主役になり、主役であった私たち自身が「手段」「道具」になっていくのです。本末転倒が起こるのです。

■そして、組織体(国家、社会、企業など)を守るという旗印が掲げられたとき、私たちの行動は、人格否定的な方向、残虐な方向へとエスカレートしていきます。大量虐殺など、個人の感情のレベルではとても行えるものではありません。しかし、「社会のため」、「民族のため」、「国家のため」、「会社のため」という錦の御旗のもとで、私たちは、戦闘行為、残虐行為に手を染めていくのです。組織体(国家、社会、企業など)の永続という目的が、残虐な行動を正当化するのです。いや、むしろ個人は、そう自分に言い聞かせない限り、戦闘行為など行うことができないと思われます。

■私たちは、元来、新しい創造を行うために「無知」の状態で生まれてきました。しかし、現代社会の常識(偏見)が子ども時代から意識的、無意識的に刷り込まれ、私たちは、「組織体」の実在性を信じ込み、組織体の「手段」として働くようになります。そして、組織体の実在性への信仰は、おそれの感情を原動力として、私たちを紛争や戦争に駆り立てていくのです。

■私たちは、国家や社会を「実在」と考える偏見から解放され、組織体(国家、企業、社会など)は道具(ルールの総体)に過ぎないことを理解しなければなりません。

■なお、現在においても、私たち人類の大多数は、平和を愛し、慈しみのある人たちであることも付け加えておきます。紛争や戦争を好む人たちはごく一部です。しかし、紛争や戦争を好む人たちが権力を握ったとき、国家の権力作用が作動し、元来、平和を愛する人たちも、いやおうなく戦争や紛争に巻き込まれていくのです。

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