神道の「神」とは何か

■日本の「神(かみ)」概念を定義することは難しい。日本の神は八百万の神である。また、「カミ、タマ、モノ、ヌシ、イツ、チ」など現在では神として総称されているものも、かつては様々な言い方があった。

■本居宣長も、古事記伝のはじめの注釈で、「神はよく知れず」と神を説明することの難しさを正直に告白している。しかし、宣長は、古事記伝のその後の記述で、神について次のような見事な定義をしている。

「さて凡て(すべて)迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸々の神たちを始めて、其を祀(まつ)れる社に坐(ます)御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣(とりけもの)草木のたぐい海山など、其余何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)きものを迦微とは云うなり。(すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪しきもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば、神と云なり。)」(『古事記伝』三之巻)

■世の中ですぐれて可畏(かしこ)きものが「神」なのである。この定義がなにゆえに見事かといえば、悪魔的学識を有する宣長が、さまざまな古典の中で用いられている「神」の用語を抽出・分析し、そこから共通する要素をまとめたものだからである。実証的、言語学的、帰納的に導き出した神の定義だから信頼が置けるのである。

■なお、畏きものとは、畏敬の念または畏怖の念を抱かせるもの、恐れ多きものという意味である。

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