■「私はキリスト教信者です。」や「私はキリスト教を信仰しています。」という言い方は自然だが、「私は神道信者です。」「私は神道を信仰しています。」という言い方には一種の違和感がある。
■「信仰」という概念は、一定の教義を前提として、これに疑いを持たず、その教えを実践することである。この点で、キリスト教、イスラム教、仏教などのいわゆる創唱宗教は一定の教義を持ち、その教義に対する信仰へと導かれる。
■また、カソリックの場合、「洗礼」という儀式を行うことによって信者となる。一定の新宗教では、入会手続がある場合もある。こうした手続がある場合は、その宗教の信者であることは外形的に分かりやすい。これに対し、神道の場合、神社の氏子であり、例大祭には必ず参加している者であっても、「神道を信仰しています。」という言い方はしっくりこない。祭りに命をかけている江戸っ子であっても、「俺は別に何も信じちゃいないよ。」となるかもしれない。
■信仰心とは、一般的には、その宗派の教義に感銘しそれを受け入れる体験や絶対的な神に帰依する体験などを通じて芽生えていくものである。明確な教義を持たず、八百万の神々をまつる神道は、そうした信仰とは一線を画している。
■そうすると、神道の信仰とはどのようなものだろうか。
☛神道とは何か