■上賀茂神社は、正式名称を賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)といい、鴨川と高野川との合流地点から4キロメートルほど鴨川を遡った場所にあります。
■ご祭神は雷を神格化したと思われる賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)で、下鴨神社のご祭神の玉依媛命の息子にあたる神様です。
■細殿(ほそどの)の前に整えられた円錐形の2つの立砂(右)は、神社の北北西約2キロメートルに位置する神山(こうやま)をかたどったものです。
■神山(右)は、ご祭神の賀茂別雷大神が降臨した場所とされています。
■葵祭(あおいまつり)とも言われる賀茂祭は、京都を代表する祭りです。下鴨神社と上賀茂神社で、5月15日に行なわれます。今では八坂神社の祇園祭が有名ですが、平安時代、「祭」といえば賀茂祭のことを指しました。祭りの行列を見るための場所取りの様子は、「源氏物語」や「枕草子」にも描かれています。
■この賀茂祭においてもっとも重要視されているのが御阿礼神事(みあれしんじ)です。御阿礼神事は賀茂祭に先立つ5月12日夜に行われます。秘儀として一般の人が参加することは許されていません。このお祭りは、神山に鎮まっている賀茂別雷大神を賀茂祭のためにお招きするための神事です。御阿礼神事は、本殿と神山との中間に位置する丸山で行われますが、この場所は太平洋戦争後に連合国軍総司令部によってゴルフ場とされ、現在では御阿礼神事は、ゴルフコースの中で執り行われています。
■また、上賀茂神社の景観を趣あるものとしているのは、境内を流れる小川である明神川です。明神川は、鴨川から水を引き入れた水路で、上賀茂神社では、御手洗川(みたいらしがわ)と名を変えます。御手洗川にかかる橋殿(右)は、賀茂祭のときに、天皇の勅使が天皇の御祭文を奏上する場所であり、この川が神の世界と人の世界とを分ける境界となっていたことが分かります。その後、御手洗川は「ならの小川」と名を変えた後(下)、また明神川に戻って、重要伝統的建造物保存地域に指定されている社家町沿いを流れていきます。