■「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。」 陰暦3月27日(陽暦5月16日)、芭蕉と曾良が千住を出て、はじめて泊ったのが草加宿と奥の細道では記されています。
■しかしその後、曽良のメモ書きが「奥の細道随行日記」として出版され、そこには「廿七日夜カスカベニ泊ル」と記されていました。どうも、芭蕉らは、草加には宿泊していなかったようです。
■天和3年(1683年)の綾瀬川開削に伴い街道が整備され、松が植えられたと伝えられています。草加松原は、江戸時代から日光街道の名所として知られていました。奥の細道の旅は元禄2年(1689年)ですから、松並木が整備され始めたときに芭蕉らはここを通過したことになります。
■草加松原は、草加市の中心部から北、綾瀬川右岸沿いに約1.5キロメートル続く松並木です。2014年に、「おくのほそ道の風景地」として国の名勝に指定されています。
■急激な都市化や自動車交通量の増大によって、昭和3年に約800本だった松並木は、一時は60本あまりに激減しました。そこで、1983年から車道を外側に移し替え、松並木を遊歩道化する事業が始まりました。「草加松並木保存会」を中心に多くの地域住民の手で松の補植が行われ、現在は635本まで回復しています。