鹿島神宮

■延長5年(927年)にまとめられた『延喜式神名帳』において、神宮を名乗る大社は3社しかありません。そのひとつが鹿島神宮です(残りは伊勢神宮と香取神宮)。なぜ、大和から離れた、また、関東でも、東山道、東海道から離れたはずれの地にその大社は鎮座するのでしょうか。また、なぜ、本殿の内陣は出雲大社と同じ構造になっているのでしょうか。

■鹿島神宮は謎多き神社です。そして今日における神社の最大の特徴は、広大な鎮守の森が維持されている点でしょう。

■鹿島神宮最大のパワースポットは、奥宮に向かって300m程伸びる奥参道です。森の中をただ掃き清められた道は、鎮守の森の醍醐味そのものです。杉の巨木が参道からそのまま空に伸びています。周りは鬱蒼とした社叢をなしています。

■鹿島神宮の森は70万ヘクタール、東京ドーム15個分にあたります。高木層は、モミ・スギ・シイ・タブノキ・クスノキ・カシ類など、低木層はヒサカキ・モチノキ・シロダモ・モッコク・アオキ・アリドウシなど、草木層は、ブミョウガ・オカメザサ・シダ類などです。本殿の裏にスギの神木があり、樹高約43m、根周囲12mの巨木で、樹齢約1000年といわれています。

 

 


■奥参道の突きあたりに奥宮があります。現在の社殿は、徳川家康が関ヶ原戦勝のお礼として慶長10年(1605年)に現在の本殿の位置に本宮として奉納されたものです。その後、現在の地に遷されました。武甕槌神の荒魂を祀っています。

 

 

 

 

 

■要石(かなめいし)は何の変哲もない小石です。しかし、その本体は地中深く埋まっており、地震を起こす鯰の頭を抑えていると伝えられています。徳川光圀が7日7晩にわたって掘らせたのですが、結局石の全体像は分からなかったことが『黄門仁徳録』に記されています。

■要石のある場所は、鹿島の森の奥深く、森の持つ厳粛な雰囲気を感じさせてくれます。

 

 

 

■御手洗池(みたらしいけ)は1日に40万リットル以上の湧水があり、水底が一面見渡せるほど澄みわたっています。近くに水源となる山などはありませんので、これほど大量の湧水があるのは不思議です。1月には、200人もの人々による大寒禊(だいかんみそぎ)が行われます。

■古くは、御手洗池が神宮の入口でした。参拝者は西の一の鳥居がある大船津から舟でここまで進んできて、御手洗池で潔斎をしてから神宮に参拝しました。

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